それは日本でのことでした。

それは日本でのことでした。

日本で初めて長期間の修行のために仏教寺院に滞在したとき、私は梅花流詠讃歌に出会った。

その日、村を見下ろす山の上に佇む寺の中庭に、小さな軽トラックが到着した。降りてきたの 、みな同じように腰の曲がった年配の女性たちだった。

彼女たちは、大きな法要の準備を手伝うために来てくれた。今日は、先祖、禅の祖師方、そして大いなる導師である釈迦牟尼仏を讃える日だったからだ。

それぞれが自分の役割を見つけていく。
台所では、年老いた手が楽しそうに、そして真剣に、何度も何度もおにぎりを握っている。
ほかの人たちは掃除に励み、誰かは花を活ける。
僧侶たちは儀式の会場を整え、また別の僧侶たちは最後の稽古に余念がない。

時が来た。
大きな鐘の音が境内に響き渡り、皆が儀式の会場へと向かう。
僧侶たちが読経を始め、私もその声に加わった。
村の女性たちは静かに座り、敬意をもって儀式に参加する。
私たちは心をひとつにして唱えた。

香を焚き、花を供え、心を込めた供物を捧げる。
そして何より、自らの存在そのものをもって、私たちは感謝の気持ちを表す。
命とその尊さを受け継いできた人々への敬意を込めて。

同じ言葉を話せなくても、それは何の障害にもならなかった。
それこそが、私たちが分かち合うものの本質だった。
それは目には見えない絆であり、私たちが最善を尽くすとき、自然と花開くものなのだ。

ふと、静寂の中に、一人の僧の澄んだ繊細な声が響き渡った。
私はその声の主を探し、気づけば目が潤んでいた。

初めて耳にするその旋律は、今日一日を共に過ごした時間と深く共鳴し、
心の奥底まで響き渡った。

それ以来、私は梅花を実践し、
そして大切にしながら、伝えていきたいと願っている。